善き人のためのソナタ
監督:フロリアン・ヘンケル・フォン・ドナースマルク
出演:ウルリッヒ・ミューエ/マルティナ・ゲデック/セバスチャン・コッホ
2006年/独/138分/古田由紀子/☆☆☆☆☆
批評 タイトルは間違っていると思います
盗聴と密告による、徹底した監視社会を構築した東独。
監視体制の中核をなしていた国家保安省の優秀な局員が、東独の誇る舞台演出家と女優監視をすることで、自分でも予想できない変化を遂げてゆく。
抑制された演出、映像、色彩。
華やかさの感じられないその世界の中で、盗聴による監視は人間の善意を蝕む「恐怖」であり、それを行う物は、まさしく「恐怖の体現者」と言える。
恐怖が善意に触れ、そして人間に変わる理由は明らかにされない。
それは、嫉妬や羨望といった負の感情なのかもしれない。
東独が、やがて西独に飲み込まれたように、時間の流れ故だったのかもしれない。
だが、少なくとも、変わりたいと思ったからではない。
極めて受動的に、変わってしまったのだ。
政治的恐怖を描きながら、そこには、人間が描かれる。
人が変わる理由など、たいていの場合そんなものだろうという、まったく劇的ではないが、的を射た人間表現がある。
そして、そんな変化でも、善意は生まれるのだと映画は描く。
苦い結末と、そのあとに待っている、善意に目覚めた男のラストカット。
心揺さぶられる映画であった。