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ライフ・イズ・ビューティフル
監督・主演:ロベルト・ベニーニ
出演:ニコレッタ・ブラスキ/ジョルジオ・カンタリーニ
1998年/伊/117分/吉岡芳子/☆☆☆☆

批評

 戦争を映画で語る手段として喜劇を用いる。
 この手段は古くはチャップリンの「独裁者」に始まると思う。
 日本でこの手段を用いたのは、やはり岡本喜八監督の「独立愚連隊」だろう。
 ただし、「独裁者」が、戦争を起こすものの視点でかかれ、「独立愚連隊」が一介の兵士の視点で書かれているのに対して、この映画は戦争の被害者(兵士も被害者ではあるが)としての市民であることが決定的に違っている。
 つまり、前二作が”戦場に立つ者”(正確には戦場に関わる者)の視点であるのに対して、”戦場の後ろに立つ者”の視点で作られているという差だ。戦争映画においてそれは大きな相違といえるだろう。
 この映画がさらに異色の作品である理由は、今でもユダヤ人の中に根付いているナチスドイツへの憎しみではなく、たとえ迫害されている戦時下であっても、人生はそれだけで素晴らしいという点に映画の焦点を持ってきているのではないのだろうか?

 そう、この映画の焦点はまさにその一点にある。

 たとえ迫害されていても“人生は素晴らしい(Life is beautiful)”というテーマと、“ユダヤ人迫害”という、たとえ戦時下であったとしても人道的に許されるべきではない歴史的事実という二つの相反するテーマを、喜劇で包み込む事によって、違和感無く共存していることに注目せねばならない。
 たしかにこの映画を“あり得ない”“非現実的”と一笑に伏すことは難しくない。
 こうしたテーマを画くための“映画の嘘”を許容できない思考硬直人間か、理解できない馬鹿の去れ事に過ぎない。

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