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徒 然 草

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イキガミ
監督:瀧本智行
出演:松田翔太/塚本高史/成海璃子
2008年/日/133/☆☆

批評 見た目だけ繕ったような物語

 国家繁栄の名の下、1/1000人に死者が国家によって出る世界。

 物語が余りにも偽善的だ。

 一番酷いのは三人目だ。
 妹のために身を捧ぐ美談のように仕上がっているが、この男は身勝手なだけだ。
 病院で、妹のためにと努力する姿で感動を誘おうと努力しているが、自分と妹のためには人を騙し、脅す事もいとわず、しかもそれに一切の反省がない。
 最後の最後まで、自分が犯してきた罪を省みない人間だと描かれる。
 感動などできるか。

 二人目も「ヤケを起こして罪を犯した場合、その罪は遺族が負う」とあるが、結局家族はその罪を負っていない。
 目撃者が多数いることが推測される事件をどう隠蔽したのか興味深いが、きっと制作側はそんなこと考えていないだろう。
 家族を失った人間の反骨を描きたい (ここを描いているから、映画最後の査問会シーンが立っている) のだろうが、そのための前段階は崩壊している。

 もう一つは、台詞や構成、ひいては設定に不備が多すぎる事。
 映画の基本は、イキガミ配達人を通して、オムニバス形式で三本の話を描くという基本構成になっている。
 三本のエピソードは、それぞれ主人公の行動 / 台詞がつないでいる。
 だがこの主人公、国繁遂行のため自ら望んで就いた仕事であるにもかかわらず、最初から躊躇し続ける。
 一人目時点では国繁バンザイで、徐々に現実を見て変わって行くという構成にすれば、もっと最後のシーンが活きただろうに。

 次に、途中に出てくる「今月の国繁死亡者」という TV 画面に代表される設定の不備だ。

 18歳から24歳の若者の命が、1/1000 の確率で奪われるのだというが、TV 画面に移される一ヶ月の国繁死亡者数は65人 (・・・違うかも。正確に覚えていないが六十有余名だった) を見て「ずいぶん少ない」というシーンがある。
 さて、「ずいぶん」というのがどの程度か分からないが、たとえば通常の半分だったと予想しよう。
 そうすると、一ヶ月で死亡者数が130人という計算になる。
 一年間で1,560人。
 死亡確率 1/1000 から逆算すると、18歳から24歳の間、7歳の人口は 1,560,000人。
 一歳あたりの人口は・・・222,857人!?
 通常の 1/4 で一ヶ月 260人 (「ずいぶん」どころではない少なさだが) だったとしても、445,714人にすぎん。

 いくらなんでも人口が少なすぎる。

 出生率が回復しているというセリフがあるが、この法律が制定された時はもっと少なかったということだ。
 そんな中で、さらに減らすような法を制定したというのだろうか?

 気が違っているどころの騒ぎではない。
(命の価値をという台詞に、当初は「関係無い人が死ぬ分には、人はすぐに忘れるよ」と思っていたが、なるほど、この、異様な人口の少なさであれば「関係ある人」が死ぬ可能性が高いかもしれないと、ふと思ったが)

 設定などどうでも良いというスタンスの作品であるとしか思えんが、そうであるならば、無駄に説明台詞や、具体性のある数字を出すなど愚の骨頂だ。

 作品を見る限り、主人公一人によって一週間にも満たない間に同一地区で三人にイキガミが配達されているのも理解に苦しむ。
 いったいどれだけの人口が、その地区集中しているというのだ。

 とどめは、この国繁というシステムがあらゆる意味で穴だらけだという点にある。
 運営方法にせよ選別方法にせよ、抜け道がいくらでも思いついてしまう。
 小学生にして留学していたら?国繁による死亡時点で連絡が付かなかったら?二重国籍児童は?
 特定の学校にだけ国繁"当たり"注射が含まれていないというよな、運営側の不正さえ容易に思いつく。

 現実の社会や若者、政治といったものを批判するのは結構だが、足まわりをきっちり作らないで、さも「作っていますよ」というスタイルを気取っているだけでは宙に浮いたような不安定さが見えるだけだ。
 「バトルロワイヤル」の時もそうだが、見た目や表層だけかっこつけても面白くはならない。
 やるならば、徹底的に世界を考え、物語を考えねば面白くはならない。
 ただ矛盾するだけだ。

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