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男たちの大和/YAMATO
監督:佐藤純彌
出演:反町隆史/中村獅童/鈴木京香
2005年/日/145分/☆

批評 史実との差異など些細な問題、物語と画こそ真の問題

 「大和」沈没地点を訪れた生存者の子供が、生存者と偶然出会って話を聞くというのが基本構成。
 回想方式という意味では、「タイタニック」(沈没地点での回想) や「プライベート・ライアン」(墓前での回想) 等、実話をベースにした物語では定番の展開だが、それだけに目新しさは無い。
 また、映画の中で最大の見せ場となる大和撃沈も、目新しさは無い。

 目新しさが無くとも、堅実にきめ細かく作られていれば面白い映画になるだろうが、残念ながらこの映画はそうした面白さも無い。


 大金を投じて作成された巨大な大和のセットは、しかしそれ故に「それ以外に見所無し」になってしまったし、このセットも残念ながら、少なくとも鉄でできた船に見えるデキではないし、細かいギミックよりも大きさで勝負する方法が裏目に出て、たとえば主砲を正射しても砲身  甲板が敵機の機銃掃射を受け、人が肉塊に成り果てるシーンも、見た目こそ残念なシーンだが、木製の甲板や鉄製の艦体やハッチは傷一つ付かず、射手は死ねども銃座には血かつくだけを、繰り返されても、そこにいる臨場感は生まれない。

 また、巨大な大和のセットで資金が尽きたのか、台詞には存在している随伴艦が影も形も出てこなかったり、軍港が一切出てこなかったりと、戦闘シーン以外でも多数の違和感を与えさせてくれる。
 また、カメラがほとんど大和の甲板上、それも左舷に集中して存在し、艦内もきまった数箇所しか出てこないため、船の広さを感じられる事は無い。

 こうした映像の平凡さ、平坦さ、そして閉塞に拍車をかけるのが、物語だ。

 史実と異なる数多の部分はさておこう (正直なところ、なぜ「パール・ハーバー」で史実との違いを指摘しまくった人たちが、この映画で同じ事をやらないのか、私にはまったく理解できない)。
 出港数日前の、上陸前に、主計兵にいたるまで次の作戦内容を把握していることも、無視しても良い。

 だが、特攻を賛美しているにも関わらず(個人的に、特攻を賛美するような人間にはなるのはゴメンだが)、それと矛盾する描写を随所に入れるのはいただけない。
 この映画では、戦争を終わらせるために、大切な人を守るために、大切な国家を守るために死ぬ事は美しい、と解いている。
 だがしかし、史実は勿論、この映画の中でさえ、彼らの死には、実は何の意味も無い。

 責任を負うべき司令官は乗船せず、守ろうとしていた人々は広島の原爆で死亡。
 「一億総玉砕の先駆け」という台詞はあるが、この映画の中でも現代日本が出てくるという事は、「総玉砕」していなかった事を意味する。
 史実と照らし合わせても、残念ながら戦艦大和の撃沈は、敗戦時期に影響らしい影響を与えてはいない。
 勿論、大和が出撃した目的である、米軍の沖縄侵攻にもだ。

 彼らの死を賛美するあまり、その死が、彼らが思っていたような美しいものでもなければ、意味のあるものでもなかったという事を無視し、しかし脚本の人間描写は彼らの死が無駄であった事を照らしている

 これら映像と脚本の不備から見れば、他の部分のデキの悪さなど些細な問題であると言えるのではなかろうか。

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