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仄暗い水の底から
監督:中田秀夫
出演:黒木瞳/菅野莉央/小口美零
2002年/日本/101分/☆☆

批評 終わり悪けりゃすべて駄目

 物語をいかにうまく始め、いかに上手く展開させようとも、結末が美しくなければそれは駄目だ。
 この映画は、それを見事に体現した。

 全体を四部構成と考えてみると、実に容易にそれが分かる。
 第壱部、
 物語の導入部分だな。モラーだと、定番のように出てくる各種怪しいアイテムを振りまく部分。
 これは良い。いかにも怪しい建物。なにかを隠していそうな管理人。
 モチーフとなる“水”を不気味に描き、キーワードとなる“赤いバック”を見せる。
 意外性は無いし、怖さも今一つだが、十分に不気味さを表現し、この後に起きる恐怖描写への期待を煽るだけ煽る。

 第弐部。
 怪しい現象が次々と起き、登場人物が徐々に追い詰められて行く家庭が描かれる。
 テーマのとなる母子愛が表面化し、怪奇現象で元々ノイローゼ気味だった母親が追い詰められて行く様を見せつつ、存分な恐怖描写で観客を脅かしまくる。
 迫り来る“水”に、母親のノイローゼは加速し、観客も画面に釘付け。何回かだれるシーンが無かった、とは言わないが、存分に怖い。
 ここで重要なのは、恐怖の対象を直接見せず、“水”“赤いバック”“中途半端に空いたドア”など、比較的どこにでもあるもので恐怖を演出したことだろう。
 とどめは不気味に映る“いるはずの無い子供”だろう。時として影のように、フラッシュカットのように一瞬だけ映るだけに怖さは倍増。

 第参部。
 第二部で完全にノイローゼに陥った母親を「理性的に」受け止めて、そりゃ気のせいだと解説する弁護士の登場。
 これは時として医者であり、時として友人であり、時として夫であり (今回は離婚調停が背景にあるため、父親は邪魔な存在として描かれるが)、子供であり、まったくごくまれに FBI や警察であったりする。
 それまでの恐怖描写が、逐一理論によって異証明され、怪奇現象は心因性のものだったとする下りは登場人物には一瞬の心の平穏を、観客には「ハハン、それじゃぁ映画にならんもんねぇ」という意地の悪い期待感を煽る。
 弁護士役が名脇役、小木茂光というあたりもキャスティングの上手さを感じる。

 第四部。
 第参部で一時の安心を買ったものの、それは即座に崩壊するのがホラー映画の鉄則。「リング」でも、ヒロインが助かった!と思った、その次に落としたでしょ?
 そう、問題は落とし方なのですよ。
 ここまで“対象を見せない”ことで観客に“魅せる”ことに成功していた演出は、ここまで来て“対象を見せて”、観客に“見せ付ける”方法にチェンジ。
 ここまで来て一気に怖くなくなる!!
 怪しい匂いがしてくるのは、貯水槽をボコボコにするという予告編でも使用されたあの映像から先。ここまでの流れで、あの貯水槽が何なのかは分かっているのにそれを引っ張っても怖くないというのが一つ。

 それ以上におかしいのは、あそこから先は説明が過剰になり、なんでもかんでもはっきり見せてしまうということだ。

 テーマを語り出した台詞は、ただのうざったい説明となって観客を襲い、はっきりくっきりを姿をあらわした「姿」はもはや滑稽なだけの代物になりはてる。
 最終部分は、ここまで落ちたからには落ちるところまで落ちようとでもいうのだろうか?なぜかここまで来て「シャイニング」炸裂。廊下とエレベーターと書けば分かる人は分かるでしょう?あれを水でやります。
 白い廊下にアレだから怖いんだよ、薄暗い廊下に泥水じゃぁ怖くも何とも無いんだよ。

 「なんでこんなシーンがいるの!?」という怒涛のエピローグは、見ている人間を完全に置き去りにし「ただのホラーじゃないんだこれは、これは愛の物語なんだ!!」と後ろのどこかで叫んでいる製作スタッフの声は、夜空に響き渡る犬の遠吠えよりも悲しい。

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