ピアノ・レッスン
監督:ジェーン・カンピオン
主演:ホリー・ハンター/ハーヴェイ・カイテル/サム・ニール
1992年/濠/分//☆☆☆☆☆

批評 凶暴で詩的に美しく
 人気のない砂浜にポツンとピアノがあって、そこに貴族出の、口の利けない母親と子供がいて、ピアノを引いてる。天気もどんよりと重苦しい中で。
 ちょっと普通じゃなくて、それでも綺麗な画なのよ。これが。

 物語ははっきり言って単純。
 亭主を亡くした子持ちの女性が、親の勝手に決めた再婚相手のいる見ず知らずの国に行く。彼女にはピアノだけが心の支えだった。そういう冒頭。
 その国で、再婚相手となったなんだか妙にインテリ然とした男と、反対に、たいした教養もない野性的な男。それで非常に上品な女性。ついでに自分に素直な、純真でそれであるが故に残酷な女の子。この対比がまたおもしろい。
 同じように風景描写もかなりどぎつい対比になっているのも見逃せない。
 冒頭の荒々しい海と、生活の場となるジャングルのような森の対比。
 なによりも、主人公の心証描写となっている色。全編わたって重苦しい、まるで灰色の光景が、エピローグで綺麗に色が付く。
 このあたりのうまさに、技術的なうまさはもちろんだけど、上品で詩的。

 そういう対比をもたせつつも、物語は不要な説明をいっさい省いている。背景えお説明しようとしない。けど、主人公の女性の気持ちと、対になる野性的な男の気持ちの流れだけ見える。これはものすごい。省いて、なおそのキャラクタを語らせるというのはとてつもない演出手腕だと思う。
 普通に考えたら薄っぺらなキャラクタにしかならないからね。

 このピアノ好きな女性に、まったく性格の違う野性的な男が惹かれてゆく。
 ここでもインテリ男との対比が描かれているんだけれども、なんの代償も求めずただひたすらに女のことを想う。そういう凶暴さ。動物的愛情行動とでも言おうか、そういう強烈さがある。
 だから映画の中で出てくるセックスシーン。これが二回あるんだけど、その人物の気持ちの現れ方を反映して描写の仕方が全然違う。そういう意味で2回目シーンの方が強烈。
 愛情とかそういう者さえふっとばして、ただただお互いがお互いを思う気持ちだけが出てきてるから。

 それで、やっと本当の恋物語になる。
 ようやく、本当の意味で二人が結ばれることになる。

 結局、この女性にとってはピアノというのは、支えではなく“檻”だった。
 だから最後、あやふやだった部分もあった愛情がクリアになるのと同時にピアノが壊れる。そのとき、ピアノと一緒に落ちて浮かび上がる。そうすると海が青くなってる。
 つまりここで女性はいったん死んで、再生してる。これでようやく檻から出られる。過去から抜け出して、次の一歩を踏み出せる。
 そういう意味で彼女は絶対に一度、精神的に死なねばならなかった。そういう描写。
 男と結ばれてハッピーエンド。そういう単純さじゃない、愛情だけじゃ“なにか”をやぶることはできない。
 そういう奥の深い映画、なんじゃないのかね。


 そうそう、映画とはまったく関係ないけどこの映画の男二人。どっちも私は嫌いだ。


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