ゴジラ
監督:本多猪四郎
出演:志村喬
1954年/日本

物語
 太平洋で次々に消息を絶つ船舶。しかし原因が分からない。
 そんな中、太平洋上の大戸島からの連絡がいっさいとぎれる。調査団はそこで、なにかに押しつぶされたような家屋を発見する。
 その脇に残された巨大な足跡。その足跡の中には、はるか古代に絶滅したはずの三葉虫があった。
 そのとき、巨大な咆吼と共に、山の陰から巨大な生物が姿を現した。
 大戸島の伝説にのっとり”ゴジラ”と呼称された巨大生物は大戸島から姿を消し、東京に現れた。
 防衛隊の必至の防戦にも関わらず火の海になる東京。
 それはさながら忌まわしき太平洋戦争の再現だった。
 日本は、再び灰の中に埋もれてしまうのか?


批評
 公開の批評を読むと、この映画がいかに当時の人間にとって怖かったのかが分かる。
 その恐怖の陰に、まだ記憶に新しい(それでいて微妙に風化した)戦争体験があったことは想像に難くない。
 ゴジラの東京襲撃シーン。都内から逃げ出す人々。その光景を東京大空襲で家を焼かれ、その炎から逃げた記憶と照らしあわせた観客も多かったのだろう。
 なにより”戦争”追体験をい感じさせてくれるのは病院のシーンだ。そこが混乱した、まるで最前線の野戦病院のような姿になったことではない。むろんそのことでの恐怖感というのもあるのだろうが、私にもっと強力な印象を残したのは、病院内の子供たちの描写である。
 運び込まれてくる患者を、親とはぐれたのであろう子供たちが、おそらくは自分の親を探すように見ている重なる賛美歌の合唱。
 それはまさに戦争体験映画なのではないのだろうか。

 話は前後するが、前半戦の演出も見事だ。
 実のところ、この光景がなければ「ゴジラ」の後半にある、恐怖シーンはあり得ない。
 戦争から日本が立ち上がりつつあることを、決して説明的ではなく説明している。人々の記憶から戦争の傷跡が薄れていることを印象づけながら、各登場人物が戦争に対してどういう想いを抱いているのか、戦争でなにを体験したのかをさりげなく描いている。
 ”戦後”の日本の姿。これがあるから中盤以降、「ゴジラ」が東京に上陸してからの戦争の再現が際だつのだ。

 さらに追い打ちをかけるのは”核の恐怖”だ。第五福竜丸事件(ビキニ事件)によって、核の恐怖が一般に知られるようになり、その記憶が広島、長崎の悪夢につながる。
 その核によって作られた怪獣。ゴジラは戦争そのものであり、同時に(すくなくともこの作品では)戦争の被害者といえる存在なのではないのだろうか?
 そうした”恐怖”や、時代背景をもったゴジラ新シリーズにおいては新「ゴジラ」「ゴジラvsビオランテ」でしか書かれなかったのはまことに残念である。

 そういや「ガメラ3」の公開時に、「ガメラ3は初代ゴジラを越えるリアル路線の怪獣映画だ」とか抜かしているアホが、どっかの掲示板にいたなぁ。


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