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マトリックス・リローテッド
監督:ウォシャウスキー兄弟
出演:キアヌ・リーブス/キャリー=アン・モス/ローレンス・フィッシュバーン
2003年/米/138分/林完治/☆☆☆

批評 いいじゃん、アニメで

 元々、唯一絶対の神によって世界が作られたという考え方に基づくキリスト教の教義では、この世界は神によって支配されている。
 アメリカはキリスト教国家 (アメリカは日本より遥かに宗教支配が強い。大統領就任式で、聖書に宣誓することが、これをなによりも雄弁に物語っている) で、これはアメリカ映画なのだ。

 「マトリックス」を見る上で、この前提を忘れてはならない。
 この映画は、人という神によって、神に似せて作られたロボットが、神に反乱する物語。
 おそらく (年内に公開が予定されている完結編のレボリューションで) 最終的には神がふたたび勝利を収めるのだろうが、現在のところ反逆が成功しているという、極めて背徳的な世界での物語だ。

 前作で全面に押し出されていた「不思議の国のアリス」が消え、より宗教的。あるいは神話的なキーワードが増えたことからもそれは明白だろう。


 問題は、そうした宗教色の強い物語の作り方ではない。

 世界を構築するために思わせぶりな台詞をばら撒き、意味の無いシーンを挿入し (レストランの媚薬混入シーンなど、媚薬である必然性などまったく無い)、観客の目を引っ張る。
 それらは、完結編ですべて決着が付けば (=意味があるとされれば) 許される部分ではある。
 ブツ切りのエンディングも、「マトリックス2(前編)」であると考えれば納得しよう。
 倍額払わせられるのにはあまり納得したくないが、シリーズ物の常として諦めは付く。

 だが、そうした行為のすべてが、アクションシーンに反比例してカメラが動かないってのはどういうことなんだろうか?
 あれだけカメラをグリグリ動かし、役者が動いている (コマ落しに CG にデジタルエフェクトで見せかけているだけだが) にもかかわらず、会話シーンになるとすべてが止まる。
 ウォシャウスキー兄弟が大好きな、リミテッドアニメーションの負の部分を見ているようだ。

 そうしたシーンでは、画のチープさも共通している。
 どこぞで見た事のあるザイオンの都市部や評議会の、なんと魅力の無い事よ。

 アクションシーンが、残念ながら前作の発展系にすぎないこともこれに止めを刺す。
 たしかにものすごく手間の掛かった VFX ではあるが、前作の「アニメーション的演出手法の実写への導入」という斬新さはない。
 その上、話題になっているカーアクションシーンだ。
 「高速道路を作って生身の人間にアクションシーンをやらせました」と言っているわりに、あまりに CG を使いすぎて、CG の迫力はあるが生身の迫力が無い。


 画的な部分は、もう次回でも変わらないだろう。あきらめる。
 今回提示された思わせぶりな台詞の台詞に決着がつき、直接的に推測されるこれまで現実だと思っていたザイオンのある世界も、実はマトリックスの中、というオチを裏切る、想像を絶する驚愕の結末があることを祈ろう。
 そうすれば、あるいは4点。まではなれるだろう。
 それを超える「何か」があれば、あるいは5点になるかも。失敗したら?どんな映画も、失敗すれば最低映画だ。

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