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監督:ラッセ・ハルストレム
出演:ケヴィン・スペイシー/ジュリアン・ムーア/ジュディ・デンチ
2001年/米/112分/石田泰子/☆☆☆

批評 脚本が今一つ

 いかど演技上手なスペイシーでもミスキャストと言うのはある。
 小心でオドオドしてて、純粋な心を持っているなどという役をやるには年齢的にも外見的にも無理があった。
 あの外見では線の細い感じがしない。

 「そういう人のほうが以外と...」

 というつもりなのかもしれんが、オドオドした感じも無いし精神的に細い感じもまったくしない。ビジュアル的な説得力にまったく欠けるのだ。映画としては十分に致命的だ。
 対して、子供が持っている、純粋さの中の残酷さを表現できているだけに悲劇だ。
 ついでを言うと、冒頭のケヴィン・スペイシーの年齢には無理があったと言わざるをえん。「コンタクト」冒頭のジュディ・フォスターと並ぶ脅威と言えよう。

 ミスとしてもう一つ上げられるのは、脚本。複線の張り方だ。
 それはもう本当にいろいろな複線が張られている。呪われた血族の生き残りの話など、良い例だろう。しかし彼にどんな存在意義があるのか?
 あれが近親相姦というタブーを破った = 人間の中に潜む狂暴さを現したエピソードだというのは分かる。問題なのは、それを教えるのははたして彼でなければならなかったのか?ということだ。
 流れからすると、他のキャラクタに告白されることで、その人間の主人公に対する負の感情を目立たせたほうがより効果的、かつ自然だったのではないか?
 他の島から移動させられてきたという家も謎だ。途中でワイヤーで引っ張られる家の画が出てくるが、他の島からどうやって引っ張ってきたのだ?
 こうしたいくつもの謎や無駄としか思えぬ複線は、最後になって一言で片づけられる。

 「謎は残ったけど、なにがあっても不思議じゃない」

 それを言ってしまったら物語なんて御都合主義だけで作り上げられるじゃないか。
 実話ならともかく、フィクションでこれはマズイだろ。

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