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A.I.
監督:スティーブン・スピルバーグ
出演:ハーレイ・ジョエル・オスメント/ジュード・ロウ
2001年/米国//戸田奈津子/☆☆☆☆

批評 スピルバーグには荷が重かったか

「A.I.」
 ジュード・ロウ。それと、あまりにも意外な部分で、おそらく狙ったであろロビン・ウィリアムズ (「アンドリュー」で、やはり人間になりたいロボットを演じている) の意外すぎる出演に1点。映画そのものは3点の評価。

 監督であるスピルバーグが“大好きな物語”と公言している「ピノキオ」を、今、近未来をモデルに画くならこれだろうという出来にはなっている。しかし、それはつまりこの映画が SF ではなく、ファンタジーでもなく、童話であることを物語っているのか?
 しかし、この作品を童話として考えた場合、その童話はあまりにも説明的すぎる印象を受けるな。


 物語全体は三部構成。ではそれをバラバラにして行く。
 第1部で問題になるのは、父親の不在だ。
 「人を愛するロボット」として作られ、「永遠に親を愛する」ことをインプットされているデイヴィッドは、しかしその愛情の対象を母モニカにしか向けない。
 それは台詞にも現れている。
 デイヴィッドは、モニカは「ママ」と呼ぶのに、ヘンリイ(父)は最後まで (とは言え、第一部でちょろちょろっと出てくるだけなのだが) 「ヘンリイ」と呼び続ける。
 たしかに、彼には本当の父親 (第二部、ならびに序章で出てくるホビイ教授) がいるのだが、それにしても「親を愛するように作られている」のであればホビイの存在はインプットされていないと見るべきであり、親であるヘンリイに対する愛情の希薄さ (と、ハンリイの存在の薄  それともシステムは、キーワードを入力した人物にのみ愛情を注ぐように作られているのだろうか?謎だ。

 第二部は、全体がさらに二つに分かれている。
 前半は、放浪するデイヴィッドが行く先を見つけるまで。
 謎なのは、エロシズムと共に現れたジゴロロボット。ジュード・ロウの演技は見事なのだが、そのただようエロシズムがいかされることは結局ない。
 彼が生活 (動作) しているルージュ・シティー全体が、“快楽の街”“セックスの街”であることを明示しながら、しかし同時にその淫靡な気配がカケラも感じられない。退廃の雰囲気も無い。ついでに言えばジゴロは最後まで服を乱すことさえない。
 そのくせ、第一部と最終部で母親のモニカにはエロシズムを出させている点も、まったく持って理解できない。

 後半は水没したマン=ハッタンで話が進む。
 ここで問題になるのは、第一部でその存在がやたらと希薄だった父親 (ここでは家族の父ではなく、作りの親であるホビイ教授) だ。
 ホビイは、亡くなった自分の子供ににせてデイヴィッドを作ったらしい。
 亡くなった息子に似せて作り出したロボットの一号機を、なんで一般社員の家庭に送り出し、ついでに捨てられたと知るとやたらと迂遠な方法で呼び戻 (しているんだろうな、あれは) す。その理由はまったく明白ではない。
 たしかに再開したホビイはその理由を語っているかのように見えるが、それは、実は「捨てられた後」にしか効力を発していない。なぜ一般社員の家庭に送り出したのかの理由は不明だ。

 第三部は致命的な失敗を見て取れる。
 「2001年宇宙の旅」の最終部とも重なる内容なのだが、「2001年」では極限まで説明をはぶき、観客をビジュアル的なパワーで圧倒、神秘的に仕上げることに成功したが、この映画では違う。
 どこか奇妙な違和感 (このセットは見事) のある家を作り上げ、その中で展開される夢。その夢をそもそも片っ端から説明してしまうのだ。
 説明するのが悪いとは言わないが、ここまで来てこんなに台詞で説明する必要がいったいどこに合ったのだろうか?
 それに最後の最後。あれがハッピーエンドなのかはたまたバットエンドなのかは観客の解釈次第だが、そこに果てしない無常感を見出すことは難しくない。なにせあれはどうあがいても作り物の世界なのだから。
 にも関わらず、その無常感はあくまでも物語の流れとして語られるだけでビジュアル的なインパクトをまったく持っていない。


 全体を通して考えてみると、各部で狂言回しが違う (第一部はテディ、第二部ではジョー、第三部はロボット) というのは面白い。
 しかし、同時に父親の存在も違ったことによって、第一部の父親の存在感の薄さが出てきているような気がして仕方ない。第三部に至っては父親の存在が無いし。

 最大の謎は、プールの底に沈めても、エネルギー切れで活動停止して、そこからさらに2000年ほど氷付けにしても大丈夫という頑丈なロボットが、ほうれん草を食う (食べ物を食べるとっぽいが) と壊れるとはこれいかに!?
 「アトム」だって「エイトマン」だって「アラレちゃん」でさえ食べたから壊れるほどあほな作り方ではなかったぞ。

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